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グラフィックアーティストが表現する官能小説

和製ポルノグラフィ「春画」についても考察してみました。

春画のことを西川絵とか、笑(わらい)絵と呼ぶこともあります。
西川絵というのは、京の浮世絵師「西川祐信(すけのぶ)」の名にちなんだもの、笑絵の「笑い」とは、色(つまりセックス)のことです。ちなみに「笑い道具」とは性具のこと。

春画とはいったい何だったのでしょう?
京の浮世絵師「西川祐信(すけのぶ)」の「好色土用干(こうしょくどようぼし)」には、娘に春画絵巻を見せて誘惑している男の図があります。

春画は誘惑のツールだったのでしょうか?
あるいは、自慰(マスターベイション)に必要なものだったのでしょうか?

男の自慰行為のことは「あてがき」と言われ、数は少ないのですが春画のなかにも描かれています。
しかし、当時の日本の家屋でそのような行為が可能なプライベートな空間は限られていたはずです。武士階級は別として、庶民にとっては難しかったのではないでしょうか。
‥と考えたとき、自慰(マスターベイション)の道具としての春画というのは無理がありそうです。

誘惑のツールというのは、可能性があります。
つまり、男女間の情愛を深める道具として十分に機能していたと考えられます。
浮世絵師は、道具としての春画を十分に意識した上で創作していたのではないでしょうか?
余談ですが、自慰(マスターベイション)のツールとしては、美人大首絵の方が一般的だったのかもしれません。美人大首絵というのは、今で言えばアイドルのブロマイドとか写真集のようなものです。

取材(写真)

*取材へ「春画とは何かを探る」*

絵柄のみの春画というのは、意外に少なく、ほとんどは序文、付文(ふぶん)、画中に入る「詞書(ことばがき)」や「書入れ」などの文章によって構成されています。
「序文」とは、作品の主旨を述べたもの、「付文」は巻末に載せられた艶笑コントのことです。「詞書」は、画面上部にレイアウトされた和歌や俳諧、狂歌、川柳です。そして、「書入れ」というのは登場人物の会話のことで、漫画の吹き出しのようなものです。

天明8年(1788年)、勝川春章(かつかわしゅんよう)の「拝開(はいかい)よぶこどり」あたりから、「書入れ」の量が増えてきます。「詞書」の役割を「書入れ」が受け持つようになり、1画面で1つのストーリーを構成するようになりました。
この「書入れ」だけでストーリーを構築できるというのは、とても面白いことです。
絵と文字の相乗効果が見事で、現在の漫画大国ニッポンという姿にも説得力が出てきます。
春画における「文字」というのは、とても重要な構成要素だったといえます。

取材(写真)

*取材へ「宗教的関心に結びつくエロ」*
(危険な取材もやります/映像版でお楽しみください)

春画の流通について考えてみたいと思います。
文化5年(1808年)の記録では、江戸で656人、大阪で約300人の貸本屋がいたとされています。
この貸本屋が、春画の流通に大きな役割を果たしていたようです。
貸本屋は、現在のレンタルビデオ店のようなもので、あらゆる階級に出入りが許されていた職業なのです。地下出版で、しかも禁書というイメージが強い春画ですが、比較的、手に入れやすかったのではないでしょうか。
貸本屋が扱うようになって、持ち歩くのに便利な冊子本となり、部数も増え、価格も下がりました。春画の大衆化は、貸本屋の持つ巧妙な裏ルートによって、発展してきたと考えられます。

さて、現在、官能小説の流通はどうなっているのでしょう。
官能小説の読者というのは、30〜50代のビジネスマンが多いと言われています。
官能小説は、全国の書店で売られていますが、特に売れているのは、駅周辺の書店だそうです。それから、駅のキオスク、さらに羽田空港などでも売れています。

文庫本というのは、単価が安いので、新書の3、4倍の初版部数を刷る必要があります。ですから、全国の一般書店、そして駅のキオスクにも配本しなければならないのです。
それにしても、駅周辺の書店、キオスク、空港で、よく売れるというのは面白い現象です。
しかも、上下巻に分かれる長編ものは、売れ行きが落ちるのです。
これは、ビジネスマンが通勤や出張のときに読んでいるということになります。
自宅でこっそり読めない人も多いのかもしれませんが、それよりポケット版、つまり文庫サイズであることが大きく影響しているようです。

実は、私たちが、携帯電話のコンテンツとして、官能小説を扱ったのは、この携帯性に注目したからです。
パソコンで閲覧する場合は、どうしても場所に依存します。
まさか職場というわけにはいきませんので、ほとんどは自宅でしょう。
ただ、通勤や出張のときに読まれているのなら、持ち歩けなければいけません。
携帯電話というのは、24時間ユーザーと一緒という初めての端末です。いつでも、どこでも、しかも、こっそりと閲覧することができるのです。

課金については、むしろ好都合だったと思います。
パケット料金は、通信量(データサイズ)に比例して課金されていきます。
ですから、画像などの大きなデータは極力避けなければなりませんが、つなぎっぱなしでもお金はかかりません。バッテリの問題はありますが、少なくともお金のことは気にせず、ゆっくり読めるわけです。
文字コンテンツの配信というのは、このような仕様に適しています。
小さい液晶画面による一覧性の低さという問題がありますから、文字量は十分に検討しなければなりませんが、多くの利点の方が上回っていたわけです。

言葉、文字というのは、とてもシンプルですが人間にとって不変のメディアです。
写真集やビデオ、CD-ROM、DVDなど、多くのメディアがありますが、見事に差別化され、支持されています。
文字コンテンツは、視覚に直接訴えるものではありません。想像力に訴えるものです。読者自身のイマジネーションで自由に愉しむことができるです。

写真という技術が登場によって、肖像画家が職を失いました。写真反対という運動もあったようです。しかし、写真というのは、望遠鏡や顕微鏡でのぞいた世界、飛行機から見下ろした世界など、人間の視覚表現に大きな影響を及ぼしたのです。
現在、CG(コンピュータグラフィックス)によって、同様に視覚表現の激変がおこっています。猛獣との格闘、過去の人物との共演、交通事故や自然災害など、どんなことでも現実世界と同じクオリティで表現することが可能となりました。

ただ、繰り返しになりますが、文字というのは人間にとって不変のメディアなのです。
映像コンテンツが視聴できる第三世代の携帯電話でも、文字コンテンツの需要は変わらないでしょう。

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